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ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・フリードリヒ2世
Johann Friedrich II.
ザクセン公
在位 1554年3月3日 - 1566年12月12日

出生 (1529-01-08) 1529年1月8日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、トルガウ
死去 (1595-05-19) 1595年5月19日(66歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
シュタイアーマルク公領オーバーエスターライヒ、シュタイアー城
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン公領、コーブルク、モーリッツ教会
配偶者 アグネス・フォン・ヘッセン
  エリーザベト・フォン・デア・プファルツ
子女 ヨハン・フリードリヒ
フリードリヒ・ハインリヒ
ヨハン・カジミール
ヨハン・エルンスト
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世
母親 ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク
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ヨハン・フリードリヒ2世(Johann Friedrich II., 1529年1月8日 - 1595年5月19日)は、ザクセン公(在位:1554年 - 1566年)。ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの長男。

人物

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父ヨハン・フリードリヒ1世は1547年にザクセン選帝侯位を皇帝カール5世に剥奪されたため、ザクセン公位のみを継承した。1555年ヘッセン方伯フィリップ1世の娘でザクセン選帝侯モーリッツの未亡人アグネスと結婚したが、同年に産褥死した。

1558年プファルツ選帝侯フリードリヒ3世(1559年に継承)の娘エリーザベトと再婚し、4男をもうけた。成人に達したのは2人である。

  • ヨハン・フリードリヒ(1559年 - 1560年)
  • フリードリヒ・ハインリヒ(1563年 - 1572年)
  • ヨハン・カジミールen, 1564年 - 1633年) - ザクセン=コーブルク公
  • ヨハン・エルンストen, 1566年 - 1638年) - ザクセン=アイゼナハ公

ヨハン・フリードリヒ2世は1566年神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の捕虜となり、弟ヨハン・ヴィルヘルムがザクセン公となった。しかし1572年にマクシミリアン2世の裁定により、ヨハン・フリードリヒ2世の存命していた2人の息子とヨハン・ヴィルヘルムの間で所領の分割が行われた。

1595年、ヨハン・フリードリヒ2世は虜囚として生涯を終えた。

出典

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  • Ernst Wülcker (1881). "Johann Friedrich II.". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 14. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 330–343.
ヨハン・フリードリヒ2世
先代
ヨハン・フリードリヒ1世
ザクセン公
エルンスト系
1554年 - 1566年
次代
ヨハン・ヴィルヘルム